ツナグマデザイン流ブランディング理論

ブランドとは?

ブランドは区別のこと

ブランド(brand)という言葉は、古ノルド語の brandr など、「燃えている木」や「焼き印」を指す古い言葉に由来するとされます。放牧の時代に、所有者が自分の家畜と他人の家畜を見分けるため、焼けた鉄で家畜に印を押したことが、ブランドの始まりとされています。やがて焼印は、製品を作った者を示す印としても使われるようになりました。

つまりブランドとは、はじめから「これは他とは違うものだ」と示すための印を指す言葉でした。区別をつけるためにこそ、ブランドは生まれています。
「他と区別される」という捉え方そのものは、ツナグマデザイン独自のものではありません。古典的なブランドの定義からして、核は「他と区別される」ことにあります。共通しているのはここまでです。区別をどう作り、どう続かせるのかから先が、ブランディング理論の領分になります。

ブランディング理論の狙い

手法を成り立たせるための理論です

ツナグマデザイン流ブランディング理論は、ブランドやブランディングの学術的研究でなく、実際に使う方法論の前提となる理論、という性質があります。つまり、定義の中身ではなく、ブランドをどうやって作り、どう持続させるかという手法を重視する点が特徴です。
そして、ブランドとは「区別」であるので、区別の作り方が理論の中心になります。
そこで、まずはブランディング理論としての区別の定義をします。
次の2つの条件の両方を満たしたときだけ、区別と呼ぶことにします。

1 違いが認識されること

一つ目の条件は、他者が「他とは違う」と感じていることです。違いを生む手段は問わないので、品質でも、価格でも、機能でも、それ以外の何かでも、結果として「他とは違う」という認識が生じていればかまいません。

2 違いの認識に持続性があること

仮に違いが認識されても、認識が短い期間で消えたり、一度きりで終わったりするなら、区別とは言いません。
ブランドの成立とは、一定以上の時間を通して、違いの認識が保たれている状態を指します。持続性を条件に加えることで、手段を問わないという前提があっても、単なる広告投下のような刹那的な施策だけに落着しないとも言えます。

区別は直接設計ができない

区別は、他者の中で起きる

定義上、区別はブランドの受け取り手の脳内にある認識です。区別があるかどうかは、こちらの製品やメッセージの側ではなく、受け取り手の側で決まります。そして受け取り手の中にある認識に、こちらから直接手を伸ばすことはできません。できるのは、外から知ろうとするか、外から変えようとするか、のどちらかです。

ただし筆者は、知ろうとする方針にも、変えようとする方針にも慎重です。どちらも、違いの認識を長く保つことが難しいからです。

他者の認識を、直接に知ることはできない

他者が何をどう認識しているかを、外から正確に知る方法はありません。そこで、間接的に推し量ろうとする試みが数多くあります。より効率を求めて顧客をモデル化する手法などです。しかしモデル化には問題があります。第一に、モデルの正しさを確かめること自体が、原理的に難しいことです。単純化したモデルが数値の上で合っていても、偶然なのか、後からこじつけたのかを見分けられないからです。第二に、施策の幅がモデルに対して固定化しがちなことです。第三に、市場も人間も絶えず変わるので、モデルの有効期間が短いことです。変化に合わせてモデルを変え続けるなら、効率のために作ったモデルの意味が薄れます。

他者の認識を、直接変えることもできない

知ることと同じく、他者の認識を直接書き換えることもできません。メディアなどを通して、間接的に変更を促すしかありません。そして間接的な変更は、即時には起こりません。認識が動くには反復と時間が必要で、相手がこちらに関心を向けていない場合はなおさら、時間がかかります。

間接的に認識を変えようとする試みの代表が、大量の広告投下です。一時的に認識を動かせるかもしれませんが、持続は現実的に困難です。まず、経済的に続けるのが難しくなります。さらに、同じ投下量を続けても効果は減衰していきます。反動で飽きられるだけでなく、嫌悪につながる場合もあります。

他者中心のパラドクス

このように、他者の認識は、知ろうとしても変えようとしても、直接には届きません。届かないところを埋めようとする試みは短期的な施策に偏り、経済的にも、心理的にも、施策のバリエーションの面でも、持続性が犠牲になります。そして短期的な施策は、区別の定義(持続すること)に反するので、ブランドの成立への寄与としては弱いものになります。

ここに一種のパラドクスがあります。他者の中に区別を作り出そうとして他者を中心に考えるほど、むしろ区別は作りにくくなる、ということです。

区別を作り出すものを設計する

区別自体は他者の中で発生します。そこで発想を変えて、「区別を作り出すもの」に注目します。

蓋然性

他者の区別を正確に測る技術はありません。将来、脳内を直接のぞける技術ができる可能性もゼロではありませんが、顧客全員に対して実施するのは現実的ではないでしょう。ですから、どのような手段をとっても、結局は「ある条件のもとで、区別が出たことにする」という推定に頼るしかありません。アンケートでも数値的な分析でも、施策の規模やレイヤーに依らず同じです。推定がどれだけ確からしいかを、ここでは蓋然性と呼びます。

そこで筆者は、蓋然性を、他者ではなく自分自身、つまりブランドを作り出す側に向けて考えます。次の二つを比べてみてください。

  • A:区別について何も意識せず、ブランドを運営している。
  • B:区別について全社的に意識しながら、ブランドを運営している。

AとBでは、どちらが蓋然性が高いと言えるでしょうか。答えは当然、Bです。興味深いのは、他者(ブランドの受け手)の認識に一切言及しなくても、「ある条件のもとで、区別が出たことにする」という推定が、自分側だけで成り立ってしまう点です。

操作できる内側から始める

他者は確実には動かせませんが、自分の内側はある程度確実に動かせます。だとすれば、動かせるところから始める方が合理的です。
内側から始めることが、ブランディング理論の基礎になります。

企業の場合の「自分で動かせる自分の内側」はいくつかありますが、筆者が中心に置くのは内部文化です。
理由は、内部文化こそが、人が運営する企業の活動の源泉そのものだからです。
ルールや経営資産も、結局は人がいないと働きません。
そして、人は人の影響を一番に受けます。影響の大元は、循環的ですが人の作った文化です。
文化の醸成と発動のサイクルに介入することこそが、ツナグマデザインのブランディングのほぼ唯一の勘所です。

内部文化を中心に置く理由は、もう一つあります。長く続くからです。

広告は、費用を払っている間だけ世に出ます。払うのをやめれば消えますし、払い続けても、同じものを見せられた人はやがて飽きます。広告が買っているのは、出来上がった施策そのものだからです。

内部文化は、出来上がった施策ではなく、施策を生む源泉です。ある施策が飽きられても、源泉のほうは減りません。源泉が残っている限り、次の施策がまた生まれます。

ブランドが成立するには、違いの認識が長く保たれなければなりません。だとすれば、減っていく施策そのものを買い続けるより、施策を生み続ける源泉を持つほうが理にかなっています。

内部文化から接点へ

まず、内部文化が市場での顧客への接点とつながる経路を例示します。

  1. 経営側からゴールの設定が示される
  2. ゴールに向けて施策を立案する
  3. 施策の立案内容は内部文化によって決まる
  4. 施策が市場に投入される
  5. 市場で施策が顧客(対象者)と接する

つまり、企業の意思(経営)と顧客の間には、必ず内部文化が介在します。

内部文化の時点での区別の必要性

ここで、「経営側が設定したゴールがどの企業でも似通っている場合」と仮定します。
同じ市場、同じ事業ドメインで競争する限り、似通ったゴールに向けて立案される施策にも、ほぼ差が出ないことが予想されます。人間の発想はある程度似通ってくるからです。そして、一回市場に投入された施策は、たとえ最初はユニークなものだったとしても、競合に知られお互いが模倣し合うのが通例です。さらに模倣は一回で終わらず、競合同士で連続して行われます。こうなると、どんな施策でもある程度の期間の後に平均の中に溶け込んでしまいます。
結局「アイデアを考えるだけどうせ真似されるから無駄」という帰結になってしまいます。
言語化されていないだけで、自然と同じ状態に陥っている企業が大半だと、筆者は考えています。
では、均一化を打破するにはどうすればいいか。
施策の立案内容が、継続的に独自性を持てばよいことになります。
ブランディングとは、まさしく独自性を作り続ける活動です。

内部文化は模倣されにくい

では、なぜ内部文化なら、施策の独自性を継続的に保てるのでしょうか。

競合が観測できるのは、市場に投入された施策だけです。施策の背後にある内部文化は、ふつうは外から見えません。しかも施策を見ても、内部文化を逆算することはできません。同じ施策にたどり着く内部文化はいくつも考えられるので、実際に何が働いていたのかは、外側からは決められないからです。

計算機科学にハッシュ関数という道具があります。入力から出力を計算するのは簡単ですが、出力から入力を復元することは現実的にできない、という一方向の性質を持ちます。内部文化と施策の関係も、一方向という点では似た形をしています。内部文化から施策は出てきますが、施策から内部文化へは戻れません。

したがって、競合が模倣できるのは、出てきた施策までです。施策を模倣されても、施策を生む源泉は手元に残ります。源泉が残っていれば、次の施策がまた生まれます。模倣する側は、常に一つ前の施策を追いかけることになります。

ここで、弱点が強みに変わります。他者の認識が外から観測できないことは、こちらから他者へ届かない理由でした。しかし、観測できないのは、競合から自分を見た場合も同じです。外から見えないという同じ性質が、今度はこちらを模倣から守ります。

ただし、ハッシュ関数のような一方向の関係が、守りにならない場合もあります。内部文化が、ほかの会社と重なりやすいありふれたもので、しかも外からたやすく見える場合です。外から見えている内部文化は、施策から逆算するまでもなく分かります。ありふれていれば、競合も同じものを持ち込めます。この場合は、内部文化であっても、模倣されにくいとは言えません。

ブランディングは、実質的には内部文化の設計である

ここまでをまとめます。

  • 何もしないと全ての施策が「市場において均一化」してしまう
  • しかし、ブランディングは均一化を打破する活動
  • 打破するためには、平均から継続的に外れ続ける必要がある
  • 続くかどうかで見ると、いちばん効くのは内部文化になる
  • 内部文化をどう設計するかが、ブランディングである