プロフェッショナル観察日記 〜ありゃ!こんな色かい!〜

ありゃ!こんな色かい!

筆者が駆け出しの頃、ゴカラさんと同じ時期に出会ったデザイナーの方のお話です。
仮名はコンナイロさんとします。

コンナイロさんは社員ではなく、会社が外注でデザインをお願いしていた方でした。社長と古くから付き合いがあったらしく、ちょこちょこと職場に出入りしていました。見た目は小さいおじさんで、デザイナーというより、町工場の職人さんのような雰囲気の人でした。足元は、いつも裸足に革靴だった気がします。
当時の職場は普通のマンションの一室だったので、そのおじさんが来ると、ペタペタと裸足でフローリングを歩く音がしてたのを、なぜか覚えています。

そんなコンナイロさんは、当時ですでに年代物のiMac G3(おにぎり型のスケルトンでディスプレイ一体型のやつ)で作業をしていました。しかも、ディスプレイが変な壊れ方をしていて、ほぼ白黒状態でしたが、それを使い続けてデザインをしていました。本人曰く、「CMYKの数値で、どんな色でも頭の中に入っているから、白黒でも大丈夫。色なんて見なくてもわかる」とのことでした。(CMYKは、印刷物の色を4色のインクの割合で指定するやり方です)

最初にそれを聞いたときは「へぇ〜ベテランってすごいな!(でも新しいパソコン買えばいいのに)」と感心しました。

まぁでも、実際はちゃんと変な色のデータが送られてきたりもしてました。コンナイロさんは家が会社の近くだったので、データを送ったあとに結局は自分で来社して、ペタペタと近づいてきて、人のパソコンを使って確かめるのが通例で、しかもしょっちゅう「ありゃ!こんな色かい!」とか叫んでたりしてました。普通に色が頭の中の色と違うという有様。

しかも、当時お願いしていたのはWeb系のデザインの仕事だったので、CMYKでなくRGBでデータ作ってよね。と地味なところもモヤモヤしてはいました。
でも、なんか憎めない感じのおじさんでした。


こんな配色は見たことない!

彼をよく知る営業さんによると、コンナイロさんには、デザイナーとしてもてはやされた時期があったそうです。印刷物の作り方が、写植(写真植字。文字を1字ずつ印画紙に焼き付けて組むやり方)からDTP(パソコンで印刷物を作ること)に変わったとき、いち早くその最新技術に対応したみたいでした。当時のコンナイロさんは、今でいうアーリーアダプターだったのです。その頃は「こんな配色をする人は見たことない!」という感じで、色使いが非常に評判だったそうです。ちょうどデジタルで表現の幅が広がった時期に、旧時代には考えられないクリエイティブを発揮したんだと思われます。それが、壊れたディスプレイで「ありゃ!こんな色かい!」をやっている人と、同一人物です。

ただ、筆者が出会った頃は、ギャンブルをしたり、養育費を払っていたり的な感じで、お金がなさすぎてパソコンが壊れても買い替えられない。という状態だったのを後から知りました。色の出ないディスプレイは、こだわりではなく、懐の事情だったわけです。


デザイナーのプライドヨォ!

コンナイロさんには、色々とお茶目なところがありました。
ある日のコンナイロさんの言葉です。

「俺は絶対素材集は使わねぇんだ!デザイナーのプライドヨォ!素材集使うやつはデザイナーじゃないと俺は思ってんかんね!」

その次の週の納品データで、コンナイロさんは普通に素材集を使っていました。イラっとしたので追及してみると、返ってきたのは「便利なもんを使うのもプロよ」の一言でした。

DTPありがとう

とはいえ、コンナイロさんの腕はある分野においては本物でした。
DTPの細かい作法を、駆け出しの筆者に色々と教えてくれたのもコンナイロさんです。たとえば、組版のルール。段落の頭は1字下げる。数字は、1桁なら全角、2桁以上なら半角にする。みたいな、普通にデジタル系の制作会社で働いていたら知らなかったはずの知識を教えてくれたことは、今でも感謝しています。

元アーリーアダプター

ただ、時はWebとインタラクティブコンテンツの時代でした。デザインの主戦場が、印刷からWebにどんどん移っていってた頃です。
Webのデザインは「動くのが前提」みたいな画面が当たり前になっていって、コンナイロさんは、そういう画面やデザインにはついて来れなくなっていました。写植からDTPに移ったときみたいには、いかなかったのですね。

まぁ、印刷物なら色はCMYKの数値で決まるし、紙は動かないので、コンナイロさんの腕が効くのは、やっぱりそっちの世界だったんだと思います。

おそらくコンナイロさんも、写植からDTPに変わったときに、DTPについて来れなかった先輩のデザイナーを見ていたんじゃないかと思います。
そのコンナイロさんが、今度はその先輩と同じ側になりつつある。という状態でした。

今思うと、あの「CMYKの数値で、どんな色でも頭の中に入っているから、白黒でも大丈夫」は、DTPの技術への執着だったのかもしれません。素材集のプライドは「便利なもんを使うのもプロよ」であっさり手放せたのに、いちばん大きな誇りだった色と印刷だけは、手放せなかったんだと思います。

それを見ていた筆者は、色々と気をつけるようになりました。
自分の身につけた技術に、誇りは持っていい。でも、執着はしちゃいけない。

プロフェッショナルとは

そんな中、筆者が、発電機器みたいな製品の、企業向けのパンフレットを担当することになりました。筆者は当時Webの仕事にばかり慣れていて、ちゃんとした印刷物の仕事はほぼ初めて。そんな不慣れな筆者に、社長がベテランのコンナイロさんを見守り役としてつけてくれた。みたいな感じです。

苦労しながらも何とか仕事が進み、納品寸前のある朝、出社したら、もうコンナイロさんがいて、筆者の席に背中を丸めて座ってました。筆者が作って試し刷りしたパンフレットを、ずっとチェックしてくれていたのです。確かもうコンナイロさんの見守り業務的には何もしなくていい時期で、サービスで見てくれてたみたいです。
そして、びっしりと赤入れの入った試し刷りを渡しながら

「このまま世に出しちゃいけねぇよな!」と言いました。

正直、筆者にはどこか無意識に「文字も含めて、あとから直せばいい」という甘えがありました。印刷物をなめていたわけでも、知らなかったわけでもないんですが。Webなら公開したあとでも直せるけど、印刷物は刷ったら終わりです。コンナイロさんは、その甘えがダメだと愛のある説教をしてくれました。

その言葉は紛れもないプロのものでした。

今でも、感謝と、少しの畏怖と共に、強く記憶しています。

でもなぜか、そのパンフレットの仕事が結局どうなったか?
コンナイロさんはどうなったか?だけは全く思い出せません。

思い出せなすぎて、変に忘れられない人。それがコンナイロさんでした。